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広橋光成 : ウィキペディア日本語版
広橋光成[ひろはし みつしげ]
広橋 光成(ひろはし みつしげ、寛政9年正月26日1797年2月22日) - 文久2年8月6日1862年9月29日))は、江戸時代の公家広橋伊光の孫、広橋胤定の子、母は葉室頼熈の娘。室は飛鳥井雅之の娘。
京都で誕生する。寛政10年(1798年)2歳で従五位下、享和2年(1802年元服し、従五位上。のち蔵人頭、左中弁右中弁を歴任。文政7年(1824年参議右大弁左大弁、文政11年(1828年)権中納言弘化2年(1845年正二位大納言と昇進を重ねる。
天保6年(1835年議奏を経て、安政4年(1857年武家伝奏となる。翌年、条約勅許問題では朝幕間の調停に努めた。その後も和宮降嫁などに腐心する。文久2年(1862年准大臣に昇進するも、同年に薨去した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広橋光成」の詳細全文を読む



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