翻訳と辞書 |
広橋兼秀[ひろはし かねひで] 広橋 兼秀(ひろはし かねひで、永正3年(1506年) - 永禄10年8月5日(1567年9月17日)は、戦国時代の公家。父は広橋守光、母は広橋綱光の娘。息子に広橋国光、娘に庭田重保正室(中御門資胤の母)。 永正7年(1510年)従五位下に叙爵。その後蔵人頭、右大弁を歴任して、天文4年(1535年)正四位上参議に任官した。翌年には従三位権中納言。天文11年(1542年)従二位権大納言となるが、翌年には子の国光に譲った。その後、弘治3年(1557年)内大臣となるが、間もなく隠居した。永禄10年(1567年)薨去。 また武家伝奏としても活動しており、天文5年(1536年)に周防国の大内義隆(義隆室に、兼秀の娘である広徳院御新造がいた)の下へ下向している。その他賀茂伝奏、春日祭上卿。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広橋兼秀」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|