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広橋 国光(ひろはし くにみつ、大永6年5月19日(1526年7月8日) - 永禄11年11月12日(1568年12月10日))は戦国時代、安土桃山時代の公家。藤原北家日野流、家格は名家で、広橋兼秀の子。母は勧修寺政顕の娘。妻は高倉永家の娘。子に広橋兼勝、日野輝資、日禎(本圀寺16世、常寂光寺開山。)。号は後引接院。法名は尊寂。官位は正二位権大納言。正親町天皇に仕える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広橋国光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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