翻訳と辞書
Words near each other
・ 広瀬豊作
・ 広瀬貞文
・ 広瀬貞雄
・ 広瀬貞雄 (実業家)
・ 広瀬貴雄
・ 広瀬資料館
・ 広瀬通
・ 広瀬通り
・ 広瀬通孝
・ 広瀬通駅
広瀬進一
・ 広瀬道貞
・ 広瀬道路
・ 広瀬郡
・ 広瀬重信
・ 広瀬量平
・ 広瀬鎌二
・ 広瀬鎮
・ 広瀬院
・ 広瀬陸斗


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

広瀬進一 : ウィキペディア日本語版
広瀬進一[ひろせ しんいち]

広瀬 進一(ひろせ しんいち、1845年3月19日弘化2年2月12日)- 1904年明治37年)7月29日)は、日本の法制官僚。官選秋田県知事。旧名・篤譲。
==経歴==
本籍・東京府近江国犬上郡(後の日夏村字古屋、現:彦根市)で、浄土真宗・専精寺住職、広瀬天超の長男として生まれる。漢籍を学び、幕末には三条実美の知遇を得、諸藩の志士と交際した。廃藩置県後に上京し、1871年11月10日(明治4年9月28日)、正院十等出仕となる。
1874年9月小野梓らが結成した啓蒙団体「共存同衆」に参加。1876年5月、法制局一等書記に就任。1880年9月太政官権少書記官となる。以後、参事院議官補、法制局参事官、兼行政裁判所評定官などを歴任。
1892年2月、第1次松方内閣内務大臣品川弥二郎内務次官白根専一とともに、第2回衆議院議員総選挙における選挙干渉を行った。同年3月、秋田県知事に登用されたが、県会などの批判を受け、同年8月に非職となり、翌月5日、依願免本官となり退官した〔『官報』第2759号、明治25年9月6日。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広瀬進一」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.