|
初代の広島市民球場(ひろしましみんきゅうじょう)は、広島県広島市中区基町の広島市中央公園内にかつて存在した野球場。広島市が所有および運営管理を行なっていた。 1957年7月に完成し、以来2009年3月31日まで日本プロ野球・セントラル・リーグの広島東洋カープが本拠地として用いた。 2009年4月1日から2010年8月31日までは、旧広島市民球場(きゅうひろしましみんきゅうじょう)の名称で主にアマチュア野球に使用されていたが、2010年9月1日をもって閉鎖され、2012年2月28日をもってライトスタンドの一部を残して解体された。 == 概要 == 1957年7月24日、中国地方初のナイター設備設置球場として開場以来、広島カープの本拠地として使用された。また夏の甲子園大会広島県予選の決勝戦や都市対抗野球大会の広島県予選などのアマチュア大会の会場としても用いられていた他、一般市民にも広く貸し出されており、カープの試合開催日の午前中にグラウンドの貸し出しを行っていることもあった。 内野2階スタンドや電光式掲示板、可動式日よけ設備等、施設の増強も長い年月をかけて行われ、開場当時17,422人だった観客収容数は、最終的に31,984人まで増加した。 しかし1990年代に入ると、新設された他球場に比べて狭隘なフィールドの大きさが問題視され始め、さらに2000年代に入ると諸設備の陳腐化・老朽化が著しく進んだことから、当球場に代わる新しい球場の建設が検討され始めるようになり、2009年4月、新たに竣工したMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にプロ野球本拠地機能は移転した。 当初は2009年3月末での閉場が予定されていたが、跡地利用に関する市と市議会の間でのこじれもあり(後述)、2009年4月1日より条例上の正式名称「広島市民球場」をマツダスタジアムに譲った上で、暫定的に「旧広島市民球場」の名称で、引き続き一般向けの利用が行われていた。2010年6月に球場廃止条例が成立し、同年9月1日をもって53年間の球場の歴史に終止符を打った。 2010年11月29日に解体作業が開始された。2011年4月に広島市長に就任した松井一實は、「球場の在り方を市民皆さんともう一度考え直す必要がある」としたが〔広島市-2011年04月14日 松井市長就任記者会見 〕、最終的にライトスタンドの一部を永久保存する以外は全面解体することが決定。2012年2月28日を以てライトスタンドの一部(幅約35メートル、高さ約6メートル)を残して解体された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広島市民球場 (初代)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hiroshima Municipal Stadium (1957) 」があります。 スポンサード リンク
|