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庄忠家 : ウィキペディア日本語版
庄忠家[しょう ただいえ]
庄 忠家(しょう ただいえ、生年不詳 - 承久3年(1221年))は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武蔵国児玉党(現在の埼玉県本庄市栗崎出身)の武士。児玉党の本宗家4代目である庄太夫家弘の三男。通称を三郎。
== 武歴 ==
庄三郎忠家は、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いにて、庄太郎家長(児玉党本宗家5代目)や庄五郎弘方など他の兄弟と共に源氏方に仕えて奮戦し、武功を上げた児玉党の武士である。『吾妻鏡』には、庄太郎家長と共に源範頼の大手軍に従い、「庄司三郎忠家」の名で記されている(司は誤記)。文治5年(1189年)では、源頼朝の大手軍に従い、兄弘高などと共に奥州合戦にも参戦した。『吾妻鏡』には彼の最後が記載されている。承久3年(1221年)に起きた承久の乱で、弟の庄五郎弘方や兄弘高の子息である庄四郎弘季と共に鎌倉幕府軍(北条泰時)に属して活躍するも、山城国宇治橋の合戦では討死にしたとある。従って没年月日は、6月13日(あるいは14日)と考えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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