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府川唯未[ふかわ ゆみ]
府川 唯未(ふかわ ゆみ、女性、1976年5月22日 - )は、日本の元プロレスラー。引退後はタレント・女優・評論家として活躍している。本名は田中 由美(たなか ゆみ)、旧姓:府川。神奈川県横須賀市出身。夫はプロレスラーの田中稔。 == プロレスラー時代 == プロ入り前はレスリングで全日本女子選手権に2年連続で出場するなど活躍。1993年に身長152cmと小柄ながら全日本女子プロレスの新人オーディションに合格し、11月12日の後楽園ホール大会でデビューするも、2戦目で右鎖骨を骨折し、1年5か月の長期欠場に追い込まれる。欠場中はセコンドやレフェリーとして活動するが、復帰後はそのルックスからキューティー鈴木(JWP)と並ぶアイドルレスラーとして人気を集める。再デビュー当時はただ弱いだけのレスラーだったが、「返し技を覚えてから、府川の試合が面白くなった」と評価するファンも多い。 1997年8月20日の日本武道館大会で、当時タッグを組んでいた玉田りえ、かねてからこの日を最後に全女を退団するアジャ・コングとともに全女を退団。翌1998年、アジャが旗揚げしたアルシオンに入団(ライセンスナンバー6)、同時にリングネームを府川 由美から府川 唯未に変更。2月18日の旗揚げ戦(後楽園ホール)ではキャンディー奥津とのオープニングマッチを戦った。 アルシオンでは全女時代後半から興味を示していた関節技に磨きをかける。大向美智子とのタッグ「ナチュラル・ツインビー」、さらにラス・カチョーラス・オリエンタレス(三田英津子・下田美馬)とのユニット「VIP」で活動していた。しかし2000年7月16日の試合中に頭部に怪我を負ってしまい、急性硬膜下血腫とクモ膜下出血で一時は生命の危機にさらされた。幸いにも一命はとりとめたが、この怪我が原因でドクターストップがかかり、翌2001年3月20日の吉田万里子戦を最後に引退した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「府川唯未」の詳細全文を読む
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