翻訳と辞書
Words near each other
・ 廈門航空
・ 廈門航空機ハイジャック事件
・ 廈門藍獅
・ 廈門足球倶楽部藍獅隊
・ 廈門道
・ 廈門駅
・ 廈門高崎国際空港
・ 廈門高崎空港
・ 廈門高崎駅
・ 廉
廉丹
・ 廉価
・ 廉価品
・ 廉価版
・ 廉価版コミック
・ 廉価版コミックス
・ 廉価盤
・ 廉基勲
・ 廉基勳
・ 廉塾


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

廉丹 : ウィキペディア日本語版
廉丹[れん たん]

廉 丹(れん たん、? - 22年)は、中国代の武将。司隷京兆尹杜陵県(西安市)の人。趙の名将廉頗の子孫。父は成帝の時に右将軍に至った廉褒。なお廉丹の孫は、蜀郡太守などを歴任した廉范である。
== 事跡 ==

=== 南方辺境への遠征 ===

王莽配下の将軍であり、廉氏は代々漢の武官として名を馳せていた。
始建国3年(10年)、中郎将廉丹は、王莽から禦侮に任命され、唐林・李充・趙襄と共に太子の四友となっている。その後、時期は不明だが、南城将軍に任命され、天鳳2年(15年)、さらに寧始将軍となった。
天鳳3年(16年)王莽が南方民族の鉤町夷(句町夷とも)の首領を王から侯に格下げすると、鉤町夷を始めとする南方民族は次々と反乱し、平蠻将軍馮茂が討伐に向かったが、失敗して王莽により投獄され死亡した。代わって、廉丹と庸部牧史熊が、天水郡・隴西郡の騎兵、廣漢郡・巴郡・蜀郡・犍為郡の官吏・民衆10万人を動員して、南方民族討伐に従事する。緒戦は勝利したが、まもなく廉丹らの軍も疫病等に苦しめられ、討伐の成果はあがらず、天鳳6年(19年)に廉丹は長安へ召還された。同年、大司馬荘尤と共に匈奴征伐に動員される予定であったが、荘尤が諫止して罷免されたために沙汰止みとなっている。この他、時期は不明だが、廉丹は大司馬・庸部牧も歴任した〔『後漢書』廉范伝〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「廉丹」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.