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廉丹[れん たん]
廉 丹(れん たん、? - 22年)は、中国の新代の武将。司隷京兆尹杜陵県(西安市)の人。趙の名将廉頗の子孫。父は成帝の時に右将軍に至った廉褒。なお廉丹の孫は、蜀郡太守などを歴任した廉范である。 == 事跡 ==
=== 南方辺境への遠征 ===
王莽配下の将軍であり、廉氏は代々漢の武官として名を馳せていた。 始建国3年(10年)、中郎将廉丹は、王莽から禦侮に任命され、唐林・李充・趙襄と共に太子の四友となっている。その後、時期は不明だが、南城将軍に任命され、天鳳2年(15年)、さらに寧始将軍となった。 天鳳3年(16年)王莽が南方民族の鉤町夷(句町夷とも)の首領を王から侯に格下げすると、鉤町夷を始めとする南方民族は次々と反乱し、平蠻将軍馮茂が討伐に向かったが、失敗して王莽により投獄され死亡した。代わって、廉丹と庸部牧史熊が、天水郡・隴西郡の騎兵、廣漢郡・巴郡・蜀郡・犍為郡の官吏・民衆10万人を動員して、南方民族討伐に従事する。緒戦は勝利したが、まもなく廉丹らの軍も疫病等に苦しめられ、討伐の成果はあがらず、天鳳6年(19年)に廉丹は長安へ召還された。同年、大司馬荘尤と共に匈奴征伐に動員される予定であったが、荘尤が諫止して罷免されたために沙汰止みとなっている。この他、時期は不明だが、廉丹は大司馬・庸部牧も歴任した〔『後漢書』廉范伝〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「廉丹」の詳細全文を読む
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