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廉東均 : ウィキペディア日本語版
廉東均[よむ どんぎゅん]

廉 東均(ヨム・ドンギュン、、Dong-Kyun Yum、男性、1950年11月10日 - )は、韓国プロボクサー忠清北道沃川郡出身。身長164cm。元WBC世界ジュニアフェザー級王者。''、Dong-Kyun Yum、男性、1950年11月10日 - )は、韓国プロボクサー忠清北道沃川郡出身。身長164cm。元WBC世界ジュニアフェザー級王者。
== 来歴 ==
1970年3月7日、韓国でプロデビュー。
1971年10月20日、16戦目で韓国ジュニアフェザー級王座を獲得した。同王座は12度の防衛に成功した。
1974年3月17日、39戦目でOBF東洋ジュニアフェザー級王者張奎喆に挑戦し、12回判定勝ちで王座を獲得した。同王座は4度の防衛に成功した(うち、日本人相手に3度防衛)。
1976年8月1日、54戦目で世界初挑戦。初代WBC世界ジュニアフェザー級王者リゴベルト・リアスコに挑戦し、15回判定負けで王座獲得ならず。
1976年11月24日、リアスコから王座を奪取した王者ロイヤル小林に挑戦し、15回判定勝ちで王座を獲得した。
1977年5月21日、2度目の防衛戦でウイルフレド・ゴメスと対戦し、12回KO負けで王座から陥落した。
1977年6月27日、再起戦で洪秀煥と対戦し、12回判定負け。1980年12月19日、洪秀煥と再戦し、10回判定ドロー。この試合を最後に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「廉東均」の詳細全文を読む



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