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廣橋賢光 : ウィキペディア日本語版
広橋賢光
広橋 賢光(ひろはし まさみつ、1855年9月29日(安政2年8月19日)- 1910年明治43年)3月21日〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、427-428頁。〕)は、明治期の官僚政治家華族貴族院伯爵議員
==経歴==
山城国京都権大納言広橋胤保の第三子として生まれる〔〔『明治過去帳』新訂初版、1155頁。〕。父の死去に伴い1876年12月5日、家督を相続〔。1884年7月7日、伯爵を叙爵した〔『官報』第307号、明治17年7月8日。〕。
1876年、内務省に入省〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』29頁。〕。以後、参事院議官補、法制局参事官福岡県書記官、同第一部長、内務書記官、内務省参事官、同地理局長、内閣記録局長兼文事秘書官、宮内省調査局長、帝室制度調査局御用掛などを歴任〔〔〔『海を越えた日本人名事典』新訂増補、581頁。〕。
1882年伊藤博文憲法調査に随行してヨーロッパ各国を訪問し、1883年に帰国した〔。
1890年7月、貴族院伯爵議員に選出され、1897年7月まで在任した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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