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廣田浩章 : ウィキペディア日本語版
廣田浩章[ひろた ひろあき]

廣田 浩章(ひろた ひろあき、1964年2月26日 - )は、山口県萩市出身の元プロ野球選手投手)。旧登録名は広田 浩章
現在は福岡ソフトバンクホークススコアラー
== 来歴・人物 ==
萩商高から電電中国(1985年度よりNTT中国)を経て、のドラフト会議にて読売ジャイアンツから2位指名を受け入団。
巨人時代の、150km/h近い快速球を投げるのにもかかわらずコントロールも良いという特長を当時の藤田元司監督に見込まれ、それまで抑え役だった鹿取義隆に代わって抑えで活躍。ナックルカーブ(当時はナックルと言われていた)を武器にする投手として知られた。
その後は故障に苦しみ、に巨人を戦力外通告され自由契約となり阪神タイガースの入団テストを受け合格も、恩師の王貞治監督に誘われ福岡ダイエーホークスに入団。ダイエーでは、打球が足に直撃して骨折するなどの不運にも見舞われ、公式戦で登板機会は在籍2年間で18試合に留まった。1996年に二度目の戦力外通告を受けた。
、96年オフに東京ヤクルトスワローズの入団テスト受け合格。野村克也監督のもと中継ぎとして見事復活し、リーグ優勝に貢献した。投法もそれまで担ぐような投げ方の縦の動きからサイドスロー気味スリークォーターに変えた横の動き変え、野村から変化球のシュートを覚えるように指示されそのシュートが活躍のきっかけになった。この年は廣田以外にも小早川毅彦野中徹博といった他球団を自由契約となった選手が活躍し、野村再生工場がフル稼働した年でもあった。
も52試合に登板して、前年を上回る防御率2.56を記録した。前年の抑え・伊藤智仁の先発復帰、抑えの高津臣吾の不調により、抑え投手としても起用され、チーム最多の7セーブをマークした。
、結果は残したもののチームの若返りのため三度目の戦力外通告を受けた。横浜ベイスターズ大阪近鉄バファローズの入団テストを受け近鉄のテストに合格、入団したがヤクルト時代のような活躍はできず翌に4度目の戦力外通告を受け現役を引退した。
翌年のからダイエー(現ソフトバンク)の打撃投手をまで務め、現在はスコアラーを務めている。
在籍した4球団全て戦力外通告、自由契約となった珍しい選手である(同様のケースで近鉄 - 日本ハム - 阪神 - ダイエーでプレーした柴田佳主也がいるが、こちらは4年連続自由契約。移籍はすべてテスト入団)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「廣田浩章」の詳細全文を読む



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