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延久蝦夷合戦[えんきゅうえぞかっせん] 延久蝦夷合戦(えんきゅうえぞかっせん)は平安時代、前九年の役(1051年-1062年)と後三年の役(1083年-1087年)の間で陸奥国を主な舞台に起こされた戦役で、延久二年合戦、延久合戦とも言う。 1070年(延久2年)に、陸奥守源頼俊が清原貞衡(清原真衡とする説、清原武貞とする説、清原武則の弟とする説、海道平氏出身で武貞の娘婿とする説などがある)と共に兵を率い蝦夷を攻略したとされる戦い。 == 経過 == 後三条天皇は即位後、延久新政とも言われる政治改革を断行した。後三条天皇は桓武天皇を意識し、大内裏の再建と征夷の完遂を政策として打ち立てる。これを請け、陸奥守源頼俊は1070年(延久2年)に軍を編成し、国府を発ち、北上する。 遠征途上、藤原基通が国司の印と国正倉の鍵を奪い逃走する事件が発生する。都に下野守源義家から、基通が印と鍵を持参して投降して来たので逮捕したとの報がはいる。朝廷は同年8月1日に頼俊を召還する宣旨を発した。同年12月26日付けで頼俊から朝廷へ大戦果を挙げたとの弁明が届く。 翌年5月5日、朝廷は頼俊に陸奥での謹慎を言い渡した。戦後の論功として、清原貞衡は鎮守府将軍に任ぜられたが、源頼俊に対する行賞は何もなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「延久蝦夷合戦」の詳細全文を読む
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