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延宝房総沖地震 : ウィキペディア日本語版
延宝房総沖地震[えんぽうぼうそうおきじしん]
延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)は、延宝5年10月9日1677年11月4日)に房総半島東方沖付近で発生したと推定される地震。規模はM8-8.34とされている。房総沖地震の一つと考えられているが、震央位置については諸説ある〔神田茂(1962): 延宝5年10月9日の津浪地震と房総沖を震央とする大地震 地震 第2輯 Vol.15, 143-145, 〕、詳しい地震像については解明されていない。
地震動による被害が確認されないのに対し、津波被害が顕著な津波地震との見方がある〔石橋克彦(1986):1677(延宝5)年関東東方沖の津波地震について, 歴史地震, 第2号, 149-152.〕〔阿部勝征(1999): 遡上高を用いた津波マグニチュードMtの決定 -歴史津波への応用 地震, 第2輯, 第52巻, 369-377, 〕。約半年前には1968年十勝沖地震に類似し、三陸沖北部が震源と推定されている延宝八戸沖地震があった。
== 地震津波の記録 ==
延宝5年10月9日夜五つ時(刻)(1677年11月4日20-22時頃)、陸奥岩城から房総半島、伊豆諸島および尾張などにかけて大津波に襲われた。
「冬十月九日癸丑、常陸水戸陸奥岩城逆波浸陸」(『野史』)など、10月9日夜に津波が上ったとする記述は多く見られるが、地震動の記録は少なく、震害が現れるほどの烈震記録は確認されていない。地震動の記録には以下のようなものがある〔東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 二巻 自慶長元年至元禄十六年』 日本電気協会、1982年 国立国会図書館サーチ〕。
*「九日岩城大地震諸浜津波打上ヶ」(岩城領内『慶天拝書』)
*「夜清天静ニて、五ツ時地震震動致シ沖より津波上ヶ」(下総銚子『玄蕃先代集』)
*「十月九日夜の五つ時分少しの地志ん有之、辰巳沖より海夥鳴来り」(上総東浪見(一宮)『万覚書写』)
*「晴天、夜地震三度」(江戸『稲葉氏永代日記』)

『葛天日録』および『玉露叢』には水戸領内の浦々で潰家89軒、溺死36人、破損流船ともに大小353艘、岩沼領で流家490余、死者123人(人馬150、内馬27)と記される。その後毎日地震し、昼夜にかけて17-18度、20度に及んで震うという。
『八丈実記』および『八丈島及青ヶ島地災記録』には津浪が谷ヶ里まで上り、青ヶ島では船および水主1人浪に払われるとある。『叢有院実記』および『慶弘紀聞』には、「尾張海溢、時有三又光、自海出、飛西北」とあり、尾張で津波があり海より光が飛び出した様子の目撃談が記される。『玉露叢』によれば紀州にも津波があったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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