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建仁の乱[けんにんのらん] 建仁の乱(けんにんのらん)は、鎌倉時代前期、建仁元年(1201年)正月23日から5月にかけて、城長茂ら城氏一族が起こした鎌倉幕府への反乱。城長茂の乱とも。 正治2年(1200年)正月、梶原景時の変によって源頼朝の寵臣であった梶原景時が滅ぼされると、景時の庇護を受けていた城長茂は変の1年後に上洛し、京において幕府打倒の兵を挙げ、同時期に本領である越後国で甥の城資盛・姉妹の坂額御前ら城一族が反乱を起こすが、いずれも幕府軍によって鎮圧された。 == 背景 == 城長茂は治承・寿永の乱では平氏側として戦い、平家滅亡後は梶原景時の仲介によって源頼朝に臣従し、文治5年(1189年)の奥州合戦の功により鎌倉幕府の御家人に列した。頼朝の死から1年後の正治2年(1200年)正月、幕府内紛である梶原景時の変によって庇護者であった景時が滅ぼされると、1年後に長茂は軍勢を率いて上洛する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「建仁の乱」の詳細全文を読む
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