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武蔵野鉄道デハ5550形電車(むさしのてつどうデハ5550がたでんしゃ)は、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が1928年(昭和3年)〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.152〕に新製した電車である。 本項では、同形式の制御車サハ5650形電車、および荷物合造制御車サハニ5753形電車の各形式についても併せて記述する。 == 概要 == 武蔵野鉄道は、本線(現・西武池袋線)飯能 - 吾野間の延伸〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.71〕、および山口線(現・西武狭山線)西所沢 - 村山貯水池際間の開通〔を翌年に控え、1928年(昭和3年)6月〔に川崎造船所〔(現・川崎重工業)において計12両の電車を新製した〔。うち4両は武蔵野鉄道では初となる全鋼製車体を採用し、デハ5560形・サハ5660形電車と別形式に区分されたが〔、残る8両は従前通り構体主要部分のみを普通鋼製とした半鋼製車体を採用〔、仕様の相違によってデハ5550形5551 - 5554、サハ5650形5651・5652、およびサハニ5753形5753・5754にそれぞれ形式区分された〔。前述した新規開業区間ならびに開業路線が、前者は武甲山系(秩父嶽)へのハイキング客輸送を〔青木栄一 「西武鉄道のあゆみ - その路線網の拡大と地域開発」 (1992) p.106〕、後者は村山貯水池を中心とした狭山自然公園一帯への観光客輸送をそれぞれ目的としたことから〔、12両の新製車両はいずれも車内座席をクロスシート仕様とした点が特徴であった〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) pp.71 - 72〕。 また同12両は、いずれも制御装置を従来のゼネラル・エレクトリック (GE) 社製Mコントロールの系譜に属する電空カム軸式の自動進段式制御器RPC-101〔奥野利夫 「50年前の電車 (VII)」 (1977) p.38〕から、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社が開発した電空単位スイッチ式の手動進段式制御器(HL制御)に変更した〔。このため従来車との併結運用は不可能となったことから、全車とも形式称号ならびに車両番号(以下「車番」)を5000番台に区分し、混用防止策とした〔。 導入後は制御車各形式の電動車化などが施工され〔、第二次世界大戦終戦後の武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道の合併に伴う(現)西武鉄道成立〔合併当初の社名は「西武農業鉄道」。1946年(昭和21年)11月15日付で現社名へ改称。〕後、1948年(昭和23年)6月〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77〕に在籍する全車両を対象に実施された一斉改番に際しては、モハ231形231 - 238と改番・再編された〔。モハ231形は同系列に属する制御車が存在しなかったことから〔田尻弘行 「西武鉄道 1950年代の輸送を担った旧形電車」 (2002) p.82〕他の制御車各形式と併結して運用され、1963年(昭和38年)まで在籍した〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武蔵野鉄道デハ5550形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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