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弘徽殿(こきでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。後者で女御の場合は「弘徽殿女御(こきでんのにょうご)」とも呼ぶ。 清涼殿に近く、後宮で最も格の高い殿舎であり、皇后・中宮・女御などが居住した。清涼殿の北、登華殿の南。西庇は細殿と呼ばれ、『源氏物語』では光源氏と朧月夜がここで出逢ったことになっている。 弘徽殿を賜っていたのが知られるのは、 *醍醐天皇皇后・藤原穏子(藤原基経女) *村上天皇女御・藤原述子(藤原実頼女) *円融天皇中宮・藤原遵子(藤原頼忠女) *花山天皇女御・藤原忯子(藤原為光女) *一条天皇女御・藤原義子(藤原公季女) *後朱雀天皇皇后・禎子内親王(三条天皇皇女) *後朱雀天皇中宮・藤原嫄子(藤原頼通養女) *後朱雀天皇女御・藤原生子(藤原教通女) - 「弘徽殿女御歌合」を開いた *後三条天皇皇后・馨子内親王(後一条天皇皇女) 物語では、『源氏物語』の桐壺帝の妃で朱雀帝の母后、「弘徽殿女御(大后)」が著名である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弘徽殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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