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弘文館 : ウィキペディア日本語版
弘文館[こうぶんかん]

弘文館朝鮮の行政機関及び研究機関。正二品衙門。玉堂とも称した。
王宮書庫に保管された図書を管理を任され、古典文学を専攻して王や官僚の問いに応じた。 官員は全部文官であり、全員経筵の官職を兼任し、副題学から副修撰までは全員지제교を兼任した。
==歴史==
高麗恭愍王5年(1356年)に 우문관을 없애고、수문전・集賢殿学士を置いた。しかし職務はなく、朝鮮世宗 2年(1420年)に世宗によって拡大・改編された。 以前までは官庁もなく、職務もなかったがこの時、庁舎が与えられ、経典、歴史書の管理と問い合わせを担当した。
 以後に世祖2年(1456年)に端宗復位計画が発覚し、同年6月 6日に集賢殿が廃止、経筵をする為に、所蔵している本を芸文館で掌握するようにした。世祖6年(1460年)5月22日には吏曹で不要不急な官庁の廃止が決まり、集賢殿・寶文閣などは廃止することを求めた。これで集賢殿は完全に廃止されることが決定した。世祖3年(1463)に集賢殿の機構を模倣、進読庁・経筵院・弘文館などが設置された。
成宗 9年(1478年)3月19日に再び芸文館副題学以下の閣員を弘文館の官職に任命するようにして芸文館を分離・改編した。
隆煕1年(1907)に弘文館は廃止された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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