翻訳と辞書
Words near each other
・ 弘明寺駅 (横浜市営地下鉄)
・ 弘明集
・ 弘暦社
・ 弘治
・ 弘治 (中国)
・ 弘治 (日本)
・ 弘治 (明)
・ 弘治 (曖昧さ回避)
・ 弘治の内乱
・ 弘治帝
弘治条約
・ 弘泉院北寺
・ 弘法
・ 弘法さん
・ 弘法の一杯水
・ 弘法の松
・ 弘法の滝護国寺
・ 弘法口駅
・ 弘法大師
・ 弘法寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

弘治条約 : ウィキペディア日本語版
丁巳約条[ていしやくじょう]
丁巳約条(ていしやくじょう)とは、1557年明宗10年/弘治3年)に朝鮮王朝対馬宗氏の間で合意された来航者取締規則のこと。明治の日本の朝鮮進出後には弘治条約との言い換えがなされた。
三浦の乱後の1512年に結ばれた壬申約条(永正条約)で宗氏に対して貿易再開と引換に過酷な要求を認めさせた朝鮮王朝であったが、1544年に発生した蛇梁倭変によって、日本と朝鮮王朝との通交は再度断絶、1547年には更に過酷な丁未約条(天文条約)が結ばれた。
1555年に発生した達梁倭変により全羅道を中心とした沿岸部で大打撃を受けた朝鮮王朝側は、宗氏に対して倭寇の禁圧に強く要望し、一方貿易再開を目指す宗氏も倭寇の討伐を行って貿易再開と壬申約条・丁未約条からの条件緩和を求めていた。1556年に日本国王使を派遣して行なった交渉によって、翌年の4月に丁巳約条が締結され、倭寇の取締と引換に宗氏の歳遣船を年25隻から30隻に増やされた。
以後、豊臣秀吉朝鮮出兵までこの約条が朝鮮王朝と対馬との関係を規定することになる。
== 参考文献 ==

*関周一「丁巳約条」(『国史大辞典 9』(吉川弘文館、1988年) ISBN 9784642005098)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「丁巳約条」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.