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顕宗天皇(けんぞうてんのう、正字体:顯宗天皇、允恭天皇39年 - 顕宗天皇3年4月25日)は、記紀・『播磨国風土記』に伝えられる第23代天皇(在位:顕宗天皇元年1月1日 - 同3年4月25日)。弘計天皇(をけのすめらみこと)・来目稚子(くめのわくご)、袁祁王・袁祁之石巣別命(をけのいわすわけのみこと、『古事記』)、袁奚天皇(『播磨国風土記』)とも。 ==系譜== 市辺押磐皇子(履中天皇の長子)の第3子。母は葛城蟻臣(ありのおみ)の女・荑媛(はえひめ、荑は草冠+夷)。飯豊女王は同母姉、仁賢天皇は同母兄に当たる。 *皇后:難波小野王(難波王。丘稚子王の女、石木王の女とも) 『日本書紀』に皇子女の記載なし。『古事記』にも「子無かりき」とある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「顕宗天皇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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