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弥勒 祐徳(みろく すけのり、1919年2月20日 - )は、宮崎県内で活動する日本の画家。西都市生まれ、在住。『弥勒祐徳展』というポスターを見て、弥勒菩薩と祐徳稲荷のことかと勘違いする人もいるほど珍しい名前だが、本名である。宮崎県立都農高等学校講師、宮崎県美術協会理事。息子はテレビ宮崎役員の弥勒猛。 精力的に活動を続けており、350回を越える個展を開いている。自宅の近くに展示室『神楽館』を設けており、作品を見ることができるほか、アートカフェや美術館で作品展示を行っている。主に神楽や桜をテーマにする画家として有名。代表作に、銀鏡神楽(しろみかぐら)で舞われた「山の神」を描いた百二十号の大作など。 == 略歴 == *1937年、宮崎県立妻中学校を卒業。 *1938年、西都市立寒川小学校の代用教員となった後、1940年応召。南方戦線に従軍し、1944年、召集解除。 *1944年から三納青年学校(のちの西都市立三納中学校)の助教諭となり英語を担当。 *1947年、同校の美術部顧問となったのがきっかけで、本格的に絵を描き始めた。 *1952年、宮日総合美術展で初入賞し宮日賞受賞。この年勤務する中学校で英語担当から美術担当になった。 *1958年、宮崎県美術展に初入選し、1969年には最優秀賞を受賞した。以後、数々の賞を受賞し、1976年、同美術展無鑑査の資格を取得。 *1978年、妻中学校の勤務を最後に定年を迎える。また、妻中学校の他にも宮崎大学教育学部非常勤講師、宮崎県立西都商業高等学校講師を務めた。 *1983年、弥勒美術館『神楽館』をつくる。 *これまでに宮日総合美術展(宮崎日日新聞社主催)で計三回特選を獲得。 *2005年、宮崎県美術展で「竜神の舞(打越かぐら)」を発表、絵画部門の大賞を受賞。 *2007年5月に妻を亡くすが、その妻をモチーフにしクスノキを彫り上げて、仏像を完成させた〔西日本新聞 2008年5月5日付 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弥勒祐徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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