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弥生時代 : ウィキペディア日本語版
弥生時代[やよいじだい]

弥生時代(やよいじだい)は、北海道沖縄を除く日本列島における時代区分の一つであり、縄文時代に続き、古墳時代に先行する。およそ紀元前3世紀中頃(この年代には異論もある)から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称である。
弥生時代は、水稲耕作による稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まったとされる。しかし、1994年、縄文末期に属する岡山県総社市南溝手遺跡(みなみみぞていせき)の土器片中からプラント・オパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が発見され、さらに同県真庭市美甘(みかも)姫笹原の4500年前の土器にもプラントオパールが発見され、2005年には岡山県児島郡灘崎町の縄文時代前期(約6000年前)の地層から大量のプラントオパールが見つかり、少なくとも約3500年前からすでに陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が数多く発表され〔2005年7月20日読売新聞、西谷正(九州大名誉教授;考古学)の論など〕〔「2005年02月19日読売新聞」''稲のプラント・オパールが見つかったことは縄文前期の稲の栽培の証拠となるもの''(高橋護・元ノートルダム清心女子大考古学教授)〕〔新聞「農民」2002.3.11 〕〔2005年7月17日朝日新聞''プラントオパールの発見により少なくとも縄文中期には稲作があったことが確実となった''(考古学者;山崎純男)〕、また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたともいわれ、現在では稲作開始時期自体が確定できない状態である。また、縄文式土器から弥生式土器の移行をもって弥生時代への移行とすることもあるが、特に東日本では弥生式土器と縄文式土器の区分も不明確であり、編年の基準としては使いがたい。
== 名称 ==

「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京府本郷向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)の貝塚で発見された土器が発見地に因み弥生式土器と呼ばれたことに由来する〔なお、その後の都市化の進展などもあって正確な発見地は特定できなくなっている〕。当初は、弥生式土器の使われた時代ということで「弥生式時代」と呼ばれ、その後徐々に「式」を省略する呼称が一般的となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「弥生時代」の詳細全文を読む



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