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張仲直[ちょう ちゅうちょく]
張 仲直(ちょう ちゅうちょく、、1901年 - 1951年5月)は、中華民国の政治家。汪兆銘政権の要人。 == 事績 == 1919年に日本へ留学し、神戸高等商業学校の第17回生として入学した。1923年に卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進学している。帰国後の状況は不明だが、1937年(民国26年)12月に中華民国臨時政府が成立した頃に、同政府行政委員会委員長王克敏の秘書となった〔王・船寄(1999)、51頁。〕。 1940年(民国29年)3月、臨時政府が汪兆銘政権に合流し華北政務委員会に改組された後も、張仲直は引き続き王克敏の腹心を務め〔、5月には華北政務委員会秘書庁事務処処長代理に就任した〔郭主編(1990)、1884頁。なお王・船寄(1999)、52頁は、1940年10月に事務処長に任命された、としている。〕。また同年中には、張は王に随従して訪日し、母校の神戸商業大学を訪問している〔王・船寄(1999)、51-52頁。〕。1941年(民国30年)4月、北京華北電業理事に任命された〔。 1943年(民国32年)2月、張仲直は華北政務委員会政務庁庁長兼秘書庁秘書長に就任した(秘書長については翌月に祝書元が代行となる)〔郭主編(1990)、1883-1884頁。なお劉ほか編(1995)、1058頁では、政務庁庁長就任につき記載があるが、秘書庁庁長兼任については記載が無い。1月に満たない暫時兼任のため省略した可能性がある。〕。同年11月、華北政務委員会委員兼財務庁庁長代理兼総務庁次長代理に就任した〔郭主編(1990)、1885頁。なお劉ほか編(1995)、1058頁では、財務庁庁長につき「代理」とは記載していない。〕。1945年(民国34年)2月、財務庁庁長代理と総務庁次長代理を退き、華北政務委員会委員のみを務めている〔郭主編(1990)、1885頁。劉ほか編(1995)、1059頁。〕。張は日本語が堪能であり、日本人との交流を頻繁に進めたとされる〔王・船寄(1999)、52頁。〕。 中華人民共和国成立後の1951年5月、北京市人民政府は反革命罪などで張仲直に死刑判決を言い渡し、直ちに執行した〔『人民日報』1951年5月23日、第6版。〕。享年51。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張仲直」の詳細全文を読む
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