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張作相[ちょう さくそう]
張 作相(ちょう さくそう)は中華民国の軍人。北京政府、奉天派の重要な位置を占めた。字は輔忱、補臣。祖籍は直隷省深州花盆鎮(現在の河北省衡水市深州市)。 ==経歴==
=== 初期の事跡 === 1881年(光緒7年)、雑木林子の貧しい農家に生まれる。少年の時、私塾で3年間勉学に勤しむ。奉天派の首領となる張作霖と同姓であることから義兄弟のちぎりを結ぶ。馬賊となるが、1902年(光緒28年)に清朝政府により、奉天巡防営の哨官となる。1907年(光緒33年)、匪賊討伐の功績により管帯に、翌年、騎兵第3営統帯に昇進した。また、東三省総督徐世昌が創設した東三省講武堂の第1期生として学んだ。 中華民国が成立すると、1912年(民国元年)、張作霖の第27師で砲兵団長、騎兵団長に就任する。1917年(民国6年)8月、第27師第54旅旅長に昇進した。この年に、張作相は孫烈臣とともに宗社党による清朝復興蜂起を鎮圧した。また、馮徳麟、湯玉麟らによる反張作霖の陰謀も阻止している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張作相」の詳細全文を読む
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