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張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説(ちょうさくりんばくさつじけんそれんとくむきかんはんこうせつ)とは1928年6月4日に発生した張作霖爆殺事件は、通説の日本人軍人であった河本大作による策謀ではなく、ソ連赤軍特務機関による犯行であるとする説である。ロシア人歴史作家〔APAグループ特別対談 1928年の張作霖の爆殺事件はソ連の特務機関の犯行だ 2010年1月27日確認〕〔2006年2月28日産経新聞におけるプロホロフ紹介の肩書き(歴史作家)より〕のドミトリー・プロホロフが最初に主張した。 == 概要 == ソ連崩壊以前から旧ソ連・ロシアの特務機関活動を専門に執筆活動していた、ドミトリー・プロホロフは、2000年に共著『GRU〔GRUはソ連軍参謀本部情報総局の略称。張作霖爆殺事件当時は、労農赤軍情報局。現在もロシア連邦軍参謀本部情報総局として存続している。〕帝国』〔原題”Империя ГРУ 1” — Олма-Пресс, 2001. ISBN 5-224-00600-7〕を出版したが、そのなかで分析の結果として、張作霖殺害にソ連の特務機関が関与していることを唱えた。それによれば、ソ連の職業的諜報員だったナウム・エイチンゴンが日本軍の仕業に見せかけて実行したという説である。 2005年に出版されたユン・チアンとジョン・ハリデイの共著による『マオ 誰も知らなかった毛沢東』に、張作霖謀殺に関して「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイチンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」との記述〔ユン・チアン/ジョン・ハリディ共著『マオ ― 誰も知らなかった毛沢東』(講談社)上巻 p.301〕がある。 プロホロフによれば〔産経新聞大阪本社朝刊 2006年2月28日国際面『張作霖爆殺「ソ連が実行」露の歴史家友好がこじれ・・・一度は失敗』内藤泰郎〕〔「正論」2006年4月号のインタビュー記事〕、日本の支援で満州を支配していたが、ソ連政府は張作霖と1924年9月に「中国東北鉄道条約〔日本では「奉ソ協定」と呼称されるのが一般的(奉天軍閥政府とソ連との間で締結された為)、内容はロシア帝国以来の東清鉄道(後に中東鉄道を経て1935年に満州国国鉄に吸収合併)に対するソ連の利権を再確認したもの。同様な内容を中華民国政府とは別途北京協定を締結している〕」を締結し友好関係〔ただし、小牟田哲彦「今でも乗れる昭和の鉄道」東京堂出版によれば、南満州鉄道の特許線(未成線)ないし平行路線を建設しようとしていたため、関東軍との間で摩擦が起きていたと指摘がある。実際に張作霖は奉天東駅(現在の瀋陽東駅)という南満州鉄道とは別のターミナルを建設している〕を結んでいた。 しかし張作霖軍の鉄道代金未納が1400万ルーブルに及んだ為に、ソ連政府が鉄道使用禁止を通達したところ、張作霖はソ連人の鉄道管理官を逮捕し〔1926年1月11日に東清鉄道工会主席シェシコフを逮捕している。これより先1925年8月に、張作霖は東清鉄道の司法権と教育施設の接収を宣言している。1929年の中ソ紛争とは別件〕、実効支配〔奉天軍閥がソ連から鉄道の実効支配しようとしたが、失敗し中ソ紛争が勃発、1930年にハバロフスク協定で再びソ連が支配している〕したとしている。これら張作霖の反ソ的な姿勢に加え、ソ連が支援した対中国国民党に対する軍事行動に失敗したことから、1926年9月に張作霖排除を決行を決定しフリストフォル・サルヌイン〔赤軍情報局の在中支局長(イリーガル)。当時は米国籍のクリストファー・ラウベルグに偽装〕が立案し、特務機関のレオニード・ブルラコフ〔赤軍情報局第5課所属。当時は東清鉄道の電気技師に偽装〕によって奉天にある張作霖の宮殿に地雷を敷設して爆殺する計画を立てたが、ブルラコフらが逮捕されたため失敗した。 だが、張作霖が1928年に反ソ反共の満州共和国創設を日本政府と協議したことから、ソ連特務機関は再度暗殺計画を立案し、実行責任者としてナウム・エイチンゴンが任命され爆殺に成功したとしている。また、プロホロフは極東国際軍事裁判(東京裁判)で関東軍元幹部が犯行を認める証言をしたことについて「その幹部は戦後、ソ連に抑留され、ソ連国家保安省が準備した内容の証言をさせられた。日本が張作霖を暗殺しなければならない理由はなく、ソ連が実行した」と主張している〔『正論』 2006年3月号〕。なお、プロホロフは2009年12月に訪日している。またアパグループの元谷外志雄代表はプロホロフの住むサンクトペテルブルクを訪問し彼と対談しているが、そのなかで実行犯の名指しはしていないが、日本軍の仕業に見せかけるために「日本軍に属していたエージェント(ソ連の工作員)が、サルヌインの指令を受けて、爆弾を仕掛けたと考えられます」と主張〔している。 また、中西輝政、加藤康男らはイギリスの秘密外交文書に、ソ連が事件を引き起こした可能性には一定の形跡があるとの指摘があるとする。その理由としてソ連は日本に劣らない満州進出・開拓計画を持っていたこと、1927年4月の在北京ソ連大使館襲撃以来、張作霖は万里の長城の内外でソ連に最も強硬に反抗してきたこと、ソ連は張作霖と日本を反目させ、間接的にソ連自身の計画を進展させていと願っていたこと、張作霖の強い個性と中国での権利を守ろうとする決意は、ソ連が満州での野望を実現する上での一番の障害であったことなどを挙げている。そして、もっともあり得るシナリオは、ソ連がこの不法行為のお膳立てをし、日本に疑いが向くような場所を選び、張作霖に敵意を持つような人物を使った、ということだろう、と記載されているという〔『謎解き「張作霖爆殺事件」』加藤康男〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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