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張我華[ちょう がか]
張 我華(ちょう がか)は中華民国の政治家。北京政府・国民政府に属した。 == 事跡 == 日本に留学し、明治大学法科を卒業している。留学中に中国同盟会に加入した。帰国後は吉林省法政学校教員、上海『神州日報』記者となっている。 1913年(民国2年)、参議院議員に当選する。二次革命(第二革命)に際しては上海に逃れた。1917年(民国6年)の護法運動に際しては、孫文(孫中山)らの護法軍政府に与し、大元帥府諮議となっている。翌年2月、大元帥府参議となった。1924年(民国13年)、参議院秘書長に任ぜられている。その翌年には全国煙酒事務署署長となった。 1928年(民国17年)からは国民政府に参加し、外交部条約委員会委員となる。翌年10月、外交部常務次長に昇進した。1930年(民国19年)4月、内政部常務次長に横滑りし、外交部条約委員会副会長も兼任している。同年12月、暫時ながら内政部部長代理をつとめた。1932年(民国21年)、各職を辞し、安徽省宣城に居住している。 日中戦争(抗日戦争)勃発後、張我華は抗敵後援会を組織した。しかし1938年(民国27年)11月26日、日本軍の空爆に遭遇、死亡した。享年53。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張我華」の詳細全文を読む
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