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張良 : ウィキペディア日本語版
張良[ちょう りょう]

張 良(ちょう りょう、? - 紀元前186年)は、末期から前漢初期の政治家・軍師子房は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。
==生涯==

===始皇帝暗殺未遂===
祖父・張開地は昭侯宣恵王襄王の宰相を務め、父・張平は釐王桓恵王の宰相を務めていた。『史記索隠』では、その祖先は韓の公族であり、王室と同じ姫姓であったが、秦による賊探索から逃れるために張氏に改名したことになっている。
父の張平が死んでから20年が経った後、秦が韓を滅ぼした。その時にはまだ張良は年若く、官に就いていなかった。韓が滅びたのは紀元前230年で、普通20歳にもなれば成人であり、父が死ぬ間際に生まれた訳でなければ張良も官位に就いているはずである。しかし滅亡寸前の国なので、20歳を過ぎてなお官に就けなかったということもあり得るため、韓が滅亡した時点で20代前半とも考えられる。また、項伯よりも年下との記述がある(「項羽本紀」)。
祖国を滅ぼされた張良は復讐を誓い、全財産を売り払って復讐の資金とした。弟が死んでも、費用を惜しんで葬式を出さなかったという。
張良は同志を求めて東へ旅をし、倉海君という人物に出会い、その人物と話し合って屈強な力士を借り受け、紀元前218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博狼沙(現在の河南省陽武の南)を通った所を狙った。方法は重さ120斤(約30kg)という鉄槌を投げつけ、始皇帝が乗った車を潰すというものであった。しかし鉄槌は副車に当たってしまって暗殺は失敗に終わり、張良たちは逃亡した。
始皇帝は自らを暗殺しようとした者に怒り、全国に触れを回して捕らえようとした。そこで張良は偽名を使って下邳(現在の江蘇省徐州の東の邳州市、邳は丕におおざと)に隠れた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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