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張 都暎(チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。陸軍参謀総長、国家再建最高会議議長を務めた。太極武功勲章授与者。 ==人物== 東洋大学史学科在学中に学徒出陣して大日本帝国陸軍少尉に任官する。日本統治終了後は、アメリカ軍政庁下の南朝鮮国防警備隊に入隊し、少尉(軍番10080番)に任官する。大隊長、連隊長を経て1949年11月に陸軍本部情報局長に就任する。 朝鮮戦争では第6師団長、第1訓練所長、第8師団長を歴任。1952年8月からアメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。戦争中の功績で韓国から太極武功勲章、アメリカからシルバースターとレジオン・オブ・メリットを授与される。休戦後は第2軍団長、陸軍参謀次長、第2軍司令官を歴任。 第二共和国成立後に張勉首相によって陸軍参謀総長に任命されるも、1961年5月16日に陸軍少将の朴正煕などが軍事革命委員会の名の下で起こした5・16軍事クーデターでは傍観を決め込む。このため、クーデター成功後の5月19日に張は国家再建最高会議議長に擁立され、同時に内閣首班と国防長官も兼任する。しかし7月3日に、副議長を務めていた朴が中心となり張は議長を解任、翌月には予備役に編入され事実上失脚した。 その後、朴政権成立後の1962年に中央情報部が反革命・内乱陰謀容疑で張を逮捕、軍法会議で無期懲役判決を受けるも同年5月に釈放。その後アメリカへ亡命し、1969年にミシガン大学で政治学の博士号を取得、1993年までウィスコンシン大学で政治学教授を務めた。 2011年5月には、認知症を患っていることが報じられている。 2012年8月3日、フロリダ州オーランドにて89歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張都暎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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