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張開儒[ちょう かいじゅ]
張 開儒(ちょう かいじゅ)は、清末民初の軍人。滇軍(雲南軍、雲南派)の指導者の1人。滇軍の中では、孫文を一貫して支持し続けた。字は藻林。 == 事跡 ==
=== 清末から護国戦争まで === 1885年(光緒11年)、秀才となる。1901年(光緒27年)、昆明に赴いて五華書院に入る。後に武備学堂に入って軍事を学んだ。 1904年(光緒30年)、日本に留学し、東京振武学校、陸軍士官学校に入学した。1905年(光緒31年)、中国同盟会に加入し、革命派の雑誌である『民報』や『雲南』雑誌の刊行に携わった。1908年(光緒34年)、陸士歩兵科を卒業して帰国し、雲南陸軍講武堂教官兼提調に就任した。1911年(宣統3年)10月、武昌起義に呼応して昆明で起きた革命派の蜂起(重九起義)に参加した。 雲南軍政府が成立すると、張開儒は援川軍第1梯団副梯団長兼聯隊長(梯団長は謝汝翼)に任命される。そして、四川省の革命派を支援するために遠征した。1913年(民国2年)、滇軍迤南辺防第1旅上校旅長に任命され、開花(現在の文山県)に駐屯した。1915年(民国4年)12月、護国戦争(第三革命)が勃発すると、護国軍第2軍第1梯団長(軍長は李烈鈞)として、広西省、広東省へ遠征した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張開儒」の詳細全文を読む
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