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張難先[ちょう なんせん]
張 難先(ちょう なんせん)は中華民国時代の政治家。中国国民党(国民政府)の政治家。名は輝灃、紹良であるが、一般に字の難先で知られる。号は義痴。 == 事跡 ==
=== 初期の活動 === 小規模の商家に生まれる。1904年(光緒30年)2月、宋教仁らと知り合う。「科学補習処」を組織し、革命派の活動に参加した。同年11月、蜂起を謀ったが、事前に漏れて科学補習処は閉鎖され、張難先は故郷へ逃亡した。1906年(光緒32年)、再び蜂起を謀って失敗し、投獄された。しかし翌年春に、病気のため保釈された。その後も、故郷で教育事業や実業に関わる傍らで革命派の宣伝を進める。1911年(宣統3年)の武昌起義にも参加したが、同志との対立により離脱した。 中華民国成立後は在野で教師などをつとめた。1918年(民国7年)、孫文(孫中山)の護法運動に参加した。しかし、外交部長伍廷芳の姿勢に反発し、辞職して再び故郷に帰った。1920年(民国9年)、北京に赴き、梁漱溟、蔡元培、李済深らと親交を結んだ。1923年(民国12年)、李の招聘に応じて広東省に赴き、西江善後督弁公署参議兼西江講武堂教官となった。1924年(民国13年)1月、中国国民党第1回全国代表大会に参加した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張難先」の詳細全文を読む
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