|
張 駿(ちょう しゅん)は、五胡十六国時代の前涼の第4代の王。 ==生涯== 306年に張寔の子として生まれる。西晋末に霸城侯に封じられた。父張寔が殺害され、叔父張茂が第3代の王として即位すると、撫軍将軍・武威太守に任ぜられた。 324年に張茂が病没すると、その後継者として即位し、持節・大将軍・涼州牧を自称した。初めは前趙に服し、劉曜により涼王に封ぜられたが、後に成漢に服し、更に東晋に通じ鎮西大将軍に任じられた。 巧みな外交戦略と、有能な人材登用により国力の充実に努めた。また沙州刺史楊宣を遣わして、亀茲・鄯善を討ち、西域諸国に通交させた。 345年には涼州を涼州・河州・沙州に三分し、大都督・大将軍・仮涼王を自称するなど前涼の全盛期を築いた人物である 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「張駿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|