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江川事件[えがわじけん] 江川事件(えがわじけん)とは、1978年のドラフト会議前日にプロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動である。江川問題(えがわもんだい)、空白の一日(くうはくのいちにち)とも言われる。 == 過去2度のドラフト ==
=== 1973年(高校3年時)のドラフト === 1973年、江川卓は作新学院のエースとして、ノーヒットノーラン9回・完全試合2回、春の甲子園における大会通算最多奪三振記録などの数々の記録を残して日本中の注目を浴びた。プロの目に止まるようになり、ほぼ全球団のスカウトが江川の家を訪問するようになるが、江川は大学進学を希望する。後に江川は「当時は大学進学を完全に決めていたので、たぶん巨人であったとしても行かなかったと思う」と語っている〔『豪球列伝』(文春ビジュアル文庫)〕。 当時のドラフト会議はクジによって球団の指名順位を決定する「変則ウェーバー方式」であった。ドラフト1位指名では、指名順位上位だった大洋ホエールズ・南海ホークス・近鉄バファローズ・日本ハムファイターズ・中日ドラゴンズは進学希望の江川の指名を回避して別選手を指名して選手契約を締結した。しかし、指名順位6番目だった阪急ブレーブスが進学希望の江川をドラフト1位で指名する(なお、このドラフトにおける巨人の指名順位は10番目だった。巨人はドラフト1位で小林秀一を指名するが入団拒否された)。しかし、江川は大学進学を変えずに入団拒否。江川は当初慶應義塾大学を目指したが、入試不合格だったため、法政大学に進学する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江川事件」の詳細全文を読む
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