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強行採決(きょうこうさいけつ)とは国会などで与野党による採決の合意が得られず、少数派の議員が審議の継続を求めている状況で、多数派の議員が審議を打ち切り、委員長や議長が採決を行うこと〔 コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「与野党による採決の合意を得ずに,委員長や議長の職権の下で突発的に行なう採決」 デジタル大辞泉「国会などで、少数派が審議の継続を求めているにもかかわらず、多数派が一方的に審議を打ち切り、採決を行うこと」 2015年7月16日閲覧。〕である。 以下、日本の国会における強行採決について記述する。 ==概説== 強行採決そのものは、戦前の帝国議会の時代から存在していた。帝国議会は議院法の規定により本会議中心の読会制で運営されていたため、採決は本会議で行われることがほとんどで、委員会での強行採決はまずなかった。戦後の国会では委員会中心主義に変わり、委員会、本会議の2回の採決を経ることになったが、どちらにおいても質疑応答および議論を審議で一通り終われば採決に至ることと決められており、この審議の手続きが明確に立法化されている場合は審議の無作為な引き延ばしや中断ができない。 日本の国会では、制度上は多数派による議事運営が規定されているものの、55年体制以降長く自民党が過半数を占める状態が続いたため、「多数派の専制」を避けるという意味でも、法案採決において何らかの形で野党の合意を取り付けるという紳士協定が存在し、現実には与野党の合意が慣例化されていた〔ただし、日本共産党は55年体制時代には合意形成の過程に参加すらできないことが多かった。〕。 議案に充当させる審議時間の配分や審議の順番など議事日程は議案ごとの均等割ではなく、議案ごとに議院運営委員会で調整され、ここでの調整が重要な政治上での駆け引きの材料となってきた(国対政治)〔たとえば1970年代には当時の参議院議長河野謙三が主導して強行採決と単独審議は行わないことが与野党で申し合わされた。〕〔戦前の帝国議会でも、議事運営は議長の職権とされていたが、現実には各派協議会(1904年に設置、後に各派交渉会へ改組)における政党間の非公式折衝で決定されていた。特に1939年(昭和14年)に制定された各派交渉会規程では、各派交渉会での決定に際しての全会派一致が明文で規定されていた。このため、アメリカの政治学者マイク・モチヅキは戦後の国会でも与野党合意を尊重するのは戦前の名残であると考えた。しかし、川人(2005)は、 : *戦後国会の初期では、議運は多数決で本会議の議事日程を決定しており、各派交渉会の流れを汲んだ全会一致による議事運営機関(たとえば議院運営小委員協議会)は定着しなかった。 : *一方で、他の常任委員会では理事会での全会一致による議事運営が定着し始めた。ただし、帝国議会は本会議中心主義だったので、各委員会での全会一致による議事運営は戦前の名残ではなく、戦後国会の独自の慣例である。 : *理事会での与野党協議が議運でも定着したのは、他の委員会から波及したためである。実際、議運で多数決採決が減少するのは55年体制の成立以降のことである。 : *よって、戦後の議運および本会議の議事運営は、戦前以来の制度的慣行に立脚するものではなく、与野党が合意する限りにおいて全会一致が成立するに過ぎない。 として、モチヅキの論に異を唱えている。〕。 *委員会の議事運営は委員長の職権である(衆議院規則、参議院規則)が、現実には当該委員会の理事会や理事懇談会での与野党交渉で審議日程が決定される。 *本会議の議事運営は議長(衆議院議長、参議院議長)の職権であり(国会法第55条)、議院運営委員会(議運)の決定に基づいて審議日程が組まれる。しかし、現実には議運の理事会あるいは理事懇談会での与野党交渉によって審議日程が決定され、議運においても多くの場合は(多数決採決ではなく)全会一致で決定される〔ある議案について野党が本会議で反対の立場である場合でも、その議案の議事日程を議運で採決することには賛成する場合がある。この場合、議運の議事日程は理事会で全会一致で合意され、議運における採決では野党が反対することになる。〕 。 *本会議や委員会の議事運営の与野党交渉が暗礁に乗り上げた場合は、各政党の機関である国会対策委員会が調整に乗り出す。 しかし、それでも与野党が合意に達しない場合は、与党が単独で採決日を決めて採決を行うべきか否かが与党内で検討される。この際、議院運営委員会での与党側の優勢を背景に、野党の合意を取り付けないまま審議を終了させ、法案を採決することを「強行」とマスコミや野党が表現したのがもともとの語源である。また与党が一方的に審議を打ち切ることから、「与党による審議拒否」とのレトリックが用いられることもある。ただし、法案に反対する野党側が無作為に審議継続を要求し、法案の可決を引き延ばす行為に出た場合に審議を終了させるのは批判の対象とならない。 委員会審議における強行採決は、通常、与党の若手議員が質疑打ち切りの動議を審議途中に挙手して口頭で提案し、それを可決する〔本会議の場合、打ち切り動議は衆議院規則140条と参議院規則111条に定めがあり、それぞれ議員20人以上による提案が必要となる。〕か、委員長の職権で質疑終局の宣告をして採決に移る。これに対して、野党が議案の採決を阻止を企図する場合もある。物理的な議事妨害としては、委員長の入室を妨害する、委員長のマイクを奪う、などが挙げられる(これに対して与党は、委員長を衛視に護衛させて入室させ開会し審議を通す)。このほか、牛タン戦術や審議拒否などの手法が採られることもある。本会議の場合、議長の本会議場入場を阻止するピケ戦術を行う、内閣不信任決議案・議長不信任決議案・委員長解任決議案等を提出して牛歩戦術を行う、などの手法が挙げられる。 委員長が与党議員であると比較的円滑に採決が行われるが、野党議員の場合は一般にそのままでは強行採決は不可能となる。このため、野党が委員長ポストを占める「逆転委員会」に付託される内閣提出法案は、野党に宥和的な内容となる傾向がある〔たとえば増山(2003)が1970年代の保革伯仲期の逆転委員会について分析している。〕 。また、逆転委員会で法案審議が滞った場合、本会議が中間報告を求め、直ちに本会議での審議に移行して採決させるという手法が採られることもある。 一方の議院で可決してももう一方の議院で可決できないまま会期終了すると国会の議決とならないため、法案成立のためには衆議院の再議決するためのみなし否決の60日間、予算成立や条約承認のために自然成立する30日間の日数が必要なため、会期日数を考慮して衆議院で強行採決をする場合がある。特にいわゆるねじれ国会の場合は与党による参議院での強行採決が不可能なため、会期日数を考慮に入れて衆議院における委員会と本会議での採決日が決められる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「強行採決」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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