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当山全信[とうやま ぜんしん]
当山 全信(とうやま ぜんしん、1910年(明治43年) - 1945年(昭和20年)1月23日)は、日本の海軍軍人。「伊48」潜水艦長として「回天」作戦中、米駆逐艦に乗艦を撃沈され戦死した。最終階級は海軍中佐。 ==生涯== 沖縄県の出身である〔『海軍兵学校沿革』巻末17頁〕。沖縄一中〔『人間魚雷』218頁〕を経て1931年(昭和6年)11月、海軍兵学校(59期)を123名中32番の席次で卒業。運動神経に恵まれ、柔道は三段である。当山は潜水艦専攻士官となり、潜水学校甲種を卒業〔『指揮官たちの太平洋戦争』369頁〕して潜水艦長を歴任する。「伊169」〔『艦長たちの軍艦史』434頁〕、「伊38」〔『艦長たちの軍艦史』412頁〕潜水艦長として歴戦し、「伊48」艤装員長となる。同艦は竣工後に第六艦隊に編入となり、1945年(昭和20年)1月8日、回天特別攻撃隊金剛隊として4隻の「回天」を載せ出撃した。この作戦行動はウルシー泊地に在泊する米国艦隊を攻撃目標とするものであったが、当山は作戦計画に反対であった〔『指揮官たちの太平洋戦争』374-380頁〕。同泊地に対しては、前年の11月に回天菊水隊による攻撃が行われ戦果を挙げたが、1945年(昭和20年)1月11日に攻撃を行い、さらに1月21日に攻撃を行うというもので、当山には21日の攻撃が命じられた。同じ攻撃を三度繰り返す危険を訴えたが受け入れられず、当山は出撃し、同泊地を攻撃した。しかし、西太平洋における米国艦隊の重要拠点の警戒は厳重であり、「伊48」は離脱することができず撃沈され、当山は戦死した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「当山全信」の詳細全文を読む
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