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当間 重慎(とうま じゅうしん、1876年8月11日 - 1923年9月22日)は、戦前の沖縄県の政治家で初代那覇市長。 政治家の当間重剛・重民兄弟の父である。 == 経歴 == 明治9年(1876年・光緒2年)6月7日に琉球藩具志川間切(現沖縄県うるま市)で生まれた。明治16年(1883年)に那覇に移る。明治34年(1901年)に上京し、東京専門学校(現早稲田大学)に入学するが病気のため中退し、那覇に戻った。 那覇では琉球新報の記者になったが、まもなく退職し「沖縄毎日新聞」を創刊する。沖縄毎日新聞では、那覇住民の立場に立った論陣をはった。 明治42年(1909年)の沖縄県会発足に際して、議員に選出され政治家としての一歩を歩みだした。その後、大正2年(1913年)に「那覇区」(「沖縄県ノ郡編制ニ関スル件」に基づく行政区画)の区長になり、大正10年(1921年)には初代那覇市長に就任するが、在任中に結核に冒され亡くなった。 息子の重剛・重民兄弟も、後に那覇市長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「当間重慎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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