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当麻清雄 : ウィキペディア日本語版
当麻清雄[たいま の きよお]
当麻 清雄(たいま の きよお、延暦14年(795年) - 貞観11年12月7日870年1月12日)は、平安時代前期の貴族真人正六位上・当麻治田麻呂の子。娘に藤原常行室がいる。官位従四位下伊予権守
== 経歴 ==
左京の出身。清雄の姉は嵯峨天皇の代に女孺を務めていたが、天皇の寵愛を受け源潔姫源全姫の2皇女を産む。のちに潔姫は藤原良房正室となって藤原明子文徳天皇女御のち太皇太后)を産み、明子所生の惟仁親王(清和天皇即位に伴い、清雄も俄に昇進を遂げた。
承和4年(837年織部佑に任ぜられたのち、安芸諸陵助を歴任する。
惟仁親王の立太子ののち、仁寿3年(853年)59歳にしてようやく従五位下叙爵天安元年(857年図書頭に任ぜられる。清和朝に入ると、貞観元年(859年従五位上、貞観6年(864年正五位下、貞観8年(866年従四位下と急速に昇進した。またこの間、図書頭・諸陵頭伊賀守・伊予権守を歴任している。貞観11年(870年)12月7日卒去。享年76。最終官位は従四位下行伊予権守。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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