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形原松平家 : ウィキペディア日本語版
形原松平家[かたはらまつだいらけ]

形原松平家(かたのはらまつだいらけ〔形原松平家についてご存じですか? (篠山市)〕
)は、松平信光の四男・与副(与嗣とも〔『新訂寛政重修諸家譜』第1巻〕)を祖とする松平氏の庶流。三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町)を領したことから形原松平家と称した。
4代・松平家広の頃より宗家の徳川家康に従い、5代・松平家忠長篠の戦いで武功を上げ、6代・家信小牧・長久手の戦い小田原征伐で武功を上げた。
元和4年(1618年)、家信に故地である三河国形原藩1万石が与えられ、大名となる。その後、家信は翌年の摂津国高槻藩2万石への移封を経て、寛永12年(1635年)に下総国佐倉藩4万石へ移封された。
寛永17年(1640年)、7代・松平康信は高槻に3万6千石で再封され、慶安2年(1649年)に丹波国篠山藩5万石へ移封された。しかし、11代・松平信岑享保の大飢饉の最中に重税を課したことにより、寛延元年(1748年)に丹波亀山藩5万1千石に移封され、そのまま幕末まで存続した。
明治17年(1884年)、18代・松平信正が子爵を授爵し、華族に列した。
== 系図 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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