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形而上学的ニヒリズム[けいじじょうがくてきにひりずむ] 形而上学的ニヒリズム(けいじじょうがくてきニヒリズム、英:Metaphysical nihilism)は、無に関する立場の一つ。無は可能か・不可能か、という論点に関して「無であることも可能だった」「何もない事も可能だった」(there might have been nothing)と主張する立場。哲学の一分野である形而上学の領域で議論される立場の一つで、「無などそもそも不可能である」とする立場と対立する。 存在論上の議論において、「存在」と「無」、すなわち「何かがある」という事と「何もない」という事の二つはしばしば対置されて論じられる。そうした議論の中で「無」、つまり「何もない」などという事がそもそも可能であるのかは一つの論点となる。この点に関して「無であることも可能だった」「何もない事も可能だった」と主張する立場が形而上学的ニヒリズムである。 == 概要 == 「無は可能か」という問題は、古くから哲学者たちによって議論されてきた問題で、紀元前5世紀の古代ギリシャの哲学者パルメニデスもこの問題を論じた〔Sorensen (2009)〕。 21世紀初頭における「無は可能か」という問題についての議論の興隆は、1996年に発表されたピーター・ヴァン・インワーゲンとE.J.ロウの論文〔Inwagen and Lowe (1996)〕をきっかけとして始まった。当初、この立場は単に「ニヒリズム(nihilism)」とだけ呼ばれていたが、他の様々なニヒリズムと区別するため、E.J.ロウが2002年の論文で「形而上学的ニヒリズム(metaphysical nihilism)」と呼ぶことを提案〔Lowe (2002), p.62〕、以降その名称が広く使われるようになった〔Efird (2005a), p.303, Efird (2005b), p.22〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「形而上学的ニヒリズム」の詳細全文を読む
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