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待乳山孝晴 : ウィキペディア日本語版
播竜山孝晴[ばんりゅうやま たかはる]
播竜山 孝晴(ばんりゅうやま たかはる、1951年5月4日 - )は、兵庫県龍野市(現・同県たつの市)神岡町出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士三保ヶ関部屋に所属していた。本名は田口 孝晴(たぐち たかはる)。現役時代の体格は178cm、147kg。最高位は西小結(1978年11月場所)。得意手は右四つ、突き、押し、寄り、出し投げ。
現在は、年寄待乳山である。
2016年5月3日(3月場所後)、日本相撲協会を定年退職する。
== 来歴・人物 ==
龍野市立神岡中学校在学時より相撲を始め、創設されたばかりの同中学校の相撲部では、主力選手として活躍した。
三保ヶ関親方(元大関・初代 増位山)の熱心な勧誘を受けて中学在学中に三保ヶ関部屋へ入門し、1966年11月場所で初土俵を踏んだ。
当初の四股名は、故郷の川に因んだ「揖保川」。改名後の四股名「播竜山」は、出身地の旧国名・播磨と龍野市(但し「龍」の字は、新字の「竜」を使用)に由来している。
幕下までは順調に番付を上げ、ここで足踏みが長く続いたものの、真面目でこつこつ稽古に励み地力を付けた。地道な努力が開花し、1974年7月場所で十両昇進、1975年3月場所で新入幕を果たした。
大関・増位山(2代目)や横綱・北の湖、大関・北天佑らとともに三保ヶ関部屋の全盛時代を築いた1人であり、北の湖の土俵入りの際には露払いなどを務めた。アンコ型の体格から繰り出す突き押しが得意で、右で前廻しを取って出し投げ気味に寄る取り口も見せた。
1978年9月場所では、前頭3枚目の地位で千代の富士旭國を降すなど10勝5敗と大勝ちし、生涯唯一の三賞となる敢闘賞を受賞。翌11月場所では、小結に昇進したものの、2勝13敗と惨敗した。
なお、三役経験は、この1場所だけである。
1979年7月場所中に部屋で流行した肝炎に罹って途中休場してからは、一時幕下まで番付を落とすなど不運に見舞われたが、努力の甲斐あって1981年1月場所で再入幕。しかし、以降は幕内と十両との往復に終わった。
現役晩年は再度幕下まで陥落し、1984年11月場所前に33歳で引退
なお、十両優勝4回は2013年現在、若の里小城ノ花大錦鳳凰と並んで昭和以降2位タイである(1位は、優勝5回の益荒雄広生
)。
引退後は三保ヶ関部屋で、同部屋が2013年に閉鎖された後は春日野部屋で部屋付きの親方として後進の指導に当たっており、日本相撲協会では長く木戸委員を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「播竜山孝晴」の詳細全文を読む



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