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待井寛[まちい ひろし]
待井 寛(まちい ひろし、1966年2月13日 - 2007年11月15日)は長野県長野市出身の元フリースタイルスキー選手。 == 来歴 == 少年時代に行っていた体操、スキーを通じてエアリアルを志し、10代の頃、木崎湖や浜名湖に設置されていたウォータージャンプ施設で練習を始め、その後のエアリアル競技の師であり、全日本フリースタイルスキー選手権大会で7度の優勝経験をもつ角皆優人〔角皆優人のホームページ 2009年9月24日閲覧〕と出会い、これが後に自身のリステル入社のきっかけとなる。 1987年、ホテルリステル猪苗代に入社。社員として、ホテルのスポーツレジャー部門で、ホテル所有のレジャー施設、スキー場の管理などをしながら競技生活を送り、1994年、リレハンメルオリンピックのエアリアルに日本代表として出場を果たした。 1998年の長野オリンピックにも出場を目指したが代表入りはできず、現役を引退。その後、ホテルやスキー場の職務をしながら後進選手の育成や、福島県スキー連盟でフリースタイルスキー部長などを務めたが、2007年11月15日福島県内の自宅で自殺。享年41。〔リレハンメル五輪代表の待井寛さんが死亡 日刊スポーツ 2007年11月15日〕。 日本で初めてフリースタイルスキー・ワールドカップが開催された際は、角皆と2人でほぼ徹夜してジャンプ台を作る〔待井寛君の想い出 2009年9月24日閲覧〕など、当時現役の選手でありながら、設営スタッフとしても競技に貢献した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「待井寛」の詳細全文を読む
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