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上西門院兵衛(じょうさいもんいんのひょうえ、生年不詳 - 1183年(寿永2年),1184年(寿永3年)頃)は、平安時代後期の歌人である。父は村上源氏神祇伯源顕仲。姉妹に、顕仲卿女(重通妾)〔* name=ane1/>、大夫典侍〔* name=ane2/>、待賢門院堀河がいる。待賢門院兵衛とも呼ばれる。 == 経歴 == 姉の堀河と共に鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に出仕、後にその皇女で斎院を退いた上西門院統子内親王に出仕した。1160年(永暦元年)上西門院の落飾に従い、出家している。『金葉和歌集』以降の勅撰集、『久安百首』等に作品を残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上西門院兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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