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律令制[りつりょうせい]
律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである〔山内昌之・古田博司「近代日本における東アジア共通文化論の軌跡 〕。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない〔菊池秀明「日中の政治・社会構造の比較」 p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)〕。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、秦から明までの1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある〔廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」〕。 == 律令制の特徴 ==
=== 基本理念 === 律令制とは、古代中国から理想とされてきた王土王民(王土王臣とも)、すなわち「土地と人民は王の支配に服属する」という理念を具現化しようとする体制であった。また、王土王民の理念は、「王だけが君臨し、王の前では誰もが平等である」とする一君万民思想と表裏一体の関係をなしていた。 律令制では、王土王民および一君万民の理念のもと、人民(百姓)に対し一律平等に耕作地を支給し、その代償として、租税・労役・兵役が同じく一律平等に課せられていた。さらに、こうした統一的な支配を遺漏なく実施するために、高度に体系的な法令、すなわち律令と格式が編纂され、律令格式に基づいた非常に精緻な官僚機構が構築されていた。この官僚機構は、王土王民理念による人民統治を実現するための必要な権力装置であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「律令制」の詳細全文を読む
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