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後ウマイヤ朝[こううまいやちょう]
後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう、756年 - 1031年)は、イベリア半島に興ったウマイヤ朝の再興王朝。西カリフ帝国とも呼ぶ。日本での通称は後ウマイヤ朝であるが、史料や外国の研究者はアンダルスの(またはコルドバの)ウマイヤ朝とよぶ。 == 歴史 ==
=== ウマイヤ朝の再興 ===
750年のアッバース革命でアッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼすと、アッバース朝の残党狩りは執拗を極めた。ただ一人生き残ったウマイヤ家の王族アブド・アッラフマーン1世は身につけていた貴金属を逃走資金に変え、アフリカ大陸に入りアフリカ西北部のベルベル人に保護された。彼の母親はベルベル人であり、その容姿を受け継ぎ、金髪で瞳が緑色であった彼はベルベル人に温かく迎えられたばかりか、ウマイヤ朝再興の足がかりを築くことができた。彼はジブラルタル海峡を越えてアンダルスに逃れ、756年にに勝利してコルドバにウマイヤ朝を再興した。 アブド・アッラフマーン2世(在位:822年-852年)の治世には、バグダードからコルドバの宮廷によばれたは琵琶の演奏や歌手として名声を博し、バグダードの優雅な文化をコルドバにもたらした。彼がもたらしたものは、例えば、フランス料理の原型となった料理コース、ガラス製の酒杯、衣服を季節ごとに着替える習慣、髪の手入れ、白髪抜き、歯磨きの使い方、などである。 アブド・アッラフマーン3世(在位:929年-961年)は、フランク王国やノルマン人の侵入を防いで勢力を維持するのみならず、トレド奪回などの戦果も挙げた。学芸の中心地でもあったコルドバはヨーロッパ諸国の留学生も迎え入れて大いに繁栄した。コルドバは洗練した文化の都ともなり、クリスタル・ガラスの製法は9世紀後半にコルドバで生まれ、金銀細工の技術も発達した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後ウマイヤ朝」の詳細全文を読む
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