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後二子古墳 : ウィキペディア日本語版
後二子古墳[うしろふたごこふん]

後二子古墳(うしろふたごこふん)は、群馬県前橋市西大室町にある古墳大室古墳群の一つ。1927年4月8日、隣接する小二子古墳と共に国の史跡に指定(指定名称は「後二子古墳ならびに小古墳」)〔国指定文化財等データベース 文化庁 〕。
== 概要 ==
主軸を北東110°に向けた前方後円墳で墳丘は全長85メートルの2段構築となっている。墳丘の一部は地山を削り出して造成され、半地下式の石室を持つ。葺石は施されていない。墳丘の周囲は盾型のが巡らされ、堀を入れた長さは106メートルに達する〔前原豊 「巧みな石室づくりの後二子古墳」『東国大豪族の威勢・大室古墳群〔群馬〕』 (シリーズ「遺跡を学ぶ」063)、新泉社、2009年〕。
後二子古墳は1段目を大きく造り、その上に小さな2段目が載る構造をしている。このような構造は吾妻古墳など主に6世紀の栃木県の古墳に見られ、「下野型古墳」等と呼ばれている。6世紀中頃の毛野地域では「下野型古墳」の築造が流行したようで、同じ古墳群内の小二子古墳と内堀1号墳も「下野型古墳」の特徴を備えている〔。
明治11年3月の石室発見・開口の後、宮内庁に後二子古墳を御諸別王陵墓として認定する申請が出されたが、豊城入彦命の陵墓として申請していた前二子古墳同様認定はされなかった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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