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後光厳院本源氏物語系図 : ウィキペディア日本語版 | 後光厳院本源氏物語系図[ごこうごんいんほんげんじものがたりけいず]
後光厳院本源氏物語系図(ごこうごんいんほんげんじものがたりけいず)とは、古系図に分類される源氏物語系図の一つ。南北朝時代の北朝第4代天皇(在位:正平8年/文和元年8月17日(1352年9月25日) - 建徳2年/応安4年3月23日(1371年4月9日))である後光厳天皇(延元3年/暦応元年3月2日(1338年3月23日) - 文中3年/応安7年1月29日(1374年3月12日))の宸筆とされているためにこの名称で呼ばれている。 == 概要 == 加賀藩前田家旧蔵・現尊経閣文庫所蔵である。本古系図の系譜部分に収録されている人物の数は、235人と多くの古系図の中でも最大級のものであり、この点から本系図を見ると最も加筆増補された末流にあると位置付けられる。その一方で人物呼称などについてみると、本系図で使用されている人物呼称は大部分が増補本系統の代表的な系図とされる為氏本古系図と同じであるが、浮舟を「故郷離るる姫君」と呼ぶなど為氏本よりは最も原初的形態を示すとされる九条家本系統に限って見られる呼称がしばしば見られるという複雑な性格をもっている。 なお、本系図がその奥書において、「藤原定家の整えたとされる系図を書写したものである」とされている点についてみると、池田亀鑑が混合本系統の代表的な古系図であるとした正嘉本古系図もその奥書において藤原定家の家に伝わる系図を重要視して複数の系図を校合して成立したとされていることから、両者の内容の違いが問題となるが、この両系図はさまざまな点において大きく異なっており、この両者の定家本に由来するとする奥書の記述がどの程度事実に基づくものであるのかが問題となる。
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