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後白河院京極局(ごしらかわいんきょうごくのつぼね、?-治承5年閏2月24日(1181年4月9日)は、平安時代の女房・歌人。藤原俊成の娘で母は藤原為忠の娘(寂念・寂超・寂然の姉妹)。藤原定家の異母姉にあたる。実名不詳。 == 経歴 == 初め藤原成親の側室となり、藤原公佐(阿野家の祖)・建春門院新大納言らを儲けるが離別、後白河法皇の下に出仕した。治承三年の政変後、後白河法皇は鳥羽院に幽閉されていたが、丹後局とともに法皇に近侍することが許された。治承5年(1181年)に病が重くなり、同年閏2月5日に出家して間もなく没した。 『新勅撰和歌集』に1首採録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後白河院京極局」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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