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後藤光蔵 : ウィキペディア日本語版
後藤光蔵[ごとう みつぞう]

後藤 光蔵(ごとう みつぞう、1896年1月4日 - 1986年12月12日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
==経歴==
大分県出身。後藤友六の二男として生れる。熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第1連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を首席で卒業した。
歩兵第1連隊中隊長参謀本部付勤務、参謀本部員、ドイツ駐在、ドイツ大使館付武官補佐官などを歴任し、1933年(昭和8年)12月から1938年(昭和13年)7月まで侍従武官を務めた。1938年7月、歩兵大佐に昇進し第1軍参謀に就任、日中戦争に出征。歩兵第1連隊長、教育総監部第1課長などを経て、1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級し教育総監部総務部長に就任。
1944年(昭和19年)4月、第2方面軍参謀副長に就任し、防衛総司令部総参謀副長となり、1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進んだ。同年4月、第1総軍参謀副長となった。宮城事件により殺害された森赳中将の後任として近衛第1師団長に就任し終戦処理を実行した。
近衛第1師団の復員を指揮した後、1945年9月に初代禁衛府長官に就任し、1946年(昭和21年)1月まで在任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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