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後藤基次[ごとう もとつぐ]
後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は又兵衞で、後藤 又兵衛(ごとう またべえ)として広く知られる。黒田如水、黒田長政、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大阪の役の講談や軍記物語などで英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。 == 生涯 ==
=== 出生 === 諸説あるが、『大日本史』などによると、永禄3年(1560年)に播磨国姫路近郊の神東郡山田村に生まれる。父は別所氏家臣で、後に小寺政職の下にいた後藤新左衛門〔貝原益軒 『黒田家臣伝』〕(基国?・後藤氏当主・伯父説あり〔綿谷雪 『実録 後藤又兵衛』〕〔「北摂三田の歴史」(北康利著)等で紹介される『上津畑ノ庄茶臼山記』と言う史料によると、三木城主の別所長治家臣の後藤基国が、天正8年(1580年)の落城の際に、長治の千代丸という8歳の子を乳母、家来とともに上津城に逃がしたとされている。〕)の次男として生まれた。 天正6年(1578年)、黒田孝高が荒木村重によって有岡城に幽閉された際、黒田家家臣一同の誓紙への署名を又兵衛の伯父・藤岡九兵衛が拒否したため一族追放となり、仙石秀久に仕えることとなる〔『黒田官兵衛と二十四騎』165頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤基次」の詳細全文を読む
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