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後藤喜八郎 : ウィキペディア日本語版
後藤喜八郎[ごとう きはちろう]

後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年9月12日 - 2007年11月1日)は、日本政治家、旧・日本社会党所属の元武蔵野市市議会議員・副議長、第2代武蔵野市市長。1960 - 1970年代にかけて日本各地に多く誕生した革新系首長の一人である。
== 経歴 ==
1920年大正9年)9月12日東京府北多摩郡武蔵野村(現在の武蔵野市)に生まれる。
1943年昭和18年)8月、中央大学法学部を中退。
1951年(昭和26年)4月、武蔵野市議会議員選挙に当時の日本社会党から立候補し、初当選。市議会議員を3期にわたって務める。市議会議員時代、武蔵境の代表として「社会党ではなく境党」と、庶民感覚を忘れない精神とともに、地元の多くの人々に愛された。〔参考:土屋正忠のブログにようこそ!:元武蔵野市長 後藤喜八郎氏を偲ぶ会 - 2010年1月12日閲覧〕また、1961年(昭和36年)には副議長も務めた。
1963年(昭和38年)4月に行われた武蔵野市長選挙に社会党所属で立候補し、27,222票を獲得。当時現職の荒井源吉(無所属)を6,000票近くの差で破り、初当選。5月、初代市長を4期15年5ヶ月にわたって務めた荒井の後を受け、第2代武蔵野市長に就任。以後、3度の再選を果たす(うち1967年(昭和42年)と1975年(昭和50年)は無投票当選)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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