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後藤大秀[ごとう だいしゅう] 後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 、後藤 秀美でも活動 )は昭和・平成時代のからくり人形師。 == 概要 == 現在、日本で本格的な「からくり人形師」として活動しているのは、九代目玉屋庄兵衛ほか数名しかおらず、後藤大秀はその一人である。 全国的に知られた大垣祭、大津祭といった祭りの、「山車からくり(だしからくり)」の完全復元や修復を多く手がける。(この場合の復元とは、昔の人形を基に全く同じ姿形の人形を新しく制作する事。修復とは、昔の人形の破損した箇所だけを作り直す事。)なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形はすでに紛失しており、古い写真一枚と古老の証言のみを基に制作をした〔千田靖子「図説からくり人形の世界」p.194-201.308-311.353-357.381-385.407-418、2005年11月1日 法政大学出版局〕。 からくり人形は頭・首・手・足・胴・胴串等から出来ており、頭・首・手・足には木曽檜、胴には桜、軸は樫、ピンは竹、滑車類はツゲといった木材を、バネには鯨のヒゲを使用する。昔と変わらぬ道具や材料を使用して、人形一体を制作するのに一年はかかる〔「第14回国民文化祭・ぎふ99 からくり文化フェスティバル─からくり今むかし─」1999年10月 第14回国民文化祭岐阜県実行委員会〕。 後藤大秀の作品は、「能面打ち」でつちかった髪や目の線描きと、深い色合いの彩色や、「宮大工」でつちかった木工技術による、複雑なからくり仕掛けが特長である〔「月刊西美濃わが街」1985年10月1日号 p.6(後藤秀美特集) 月刊西美濃わが街社〕〔「月刊西美濃わが街」1986年3月1日号 p.56-59(後藤秀美特集) 月刊西美濃わが街社 〕〔「岐阜新聞」1996年8月23日朝刊(美濃・飛騨のワザ人たち、後藤大秀特集)〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤大秀」の詳細全文を読む
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