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後藤 文一郎(ごとう ぶんいちろう、1861年5月23日(文久元年4月14日) - 1928年(昭和3年)9月29日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(4期)。 == 略歴 == 1861年(文久元年4月14日)、三河国碧海郡知立村(現・愛知県知多市)に生まれる。石川部平の青藍塾(漢学)に学んだ後、明法学社、茂松法学校、東京法学校(現・法政大学)で学ぶ。 1882年(明治15年)に代言人試験に合格し、愛知県岡崎町(現・愛知県岡崎市)で開業する。1890年(明治23年)に愛知県会議員に当選するも、衆議院議総選挙に出馬するため、1892年(明治25年)に県会議員を辞職する。 1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙に自由党候補として出馬するが、落選する。 1898年(明治31年)、第6回衆議院議員総選挙に愛知県11区から憲政党候補として出馬し、当選する。以後、第9回衆議院議員総選挙(立憲政友会)、第10回衆議院議員総選挙、衆議院議員補欠選挙に当選する。 1928年(昭和3年)9月29日に死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「後藤文一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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